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山行日  2002年7月26日(金)〜27日(土)・28日(日)・29日(月)
     3泊4日
山行先  荒川三山(悪沢岳・中岳・前岳・赤石岳 山域 南アルプス南部)
天 候  4日とも晴天
宿泊先  椹島ロッジ・中岳避難小屋・赤石小屋

【行程】

7/26
 三鷹自宅(AM3:45発)―マイカー→赤石温泉(10:00〜11:00)―車→バス停(11:30)―送迎バス→椹島ロッジ(12:30着) 宿泊

7/27
椹島ロッジ(5:00発)→小石下(7:15)→清水平(8:20)→蕨段(9:00)→駒鳥池(10:30)→千枚小屋(11:10〜11:35)→千枚岳(12:20)→円山(13:40)→悪沢岳(東岳)(14:20)→中岳避難小屋(16:00) 宿泊

7/28
中岳避難小屋(4:50)→中岳(5:00)→前岳(5:15)→分岐点(5:25)→荒川小屋(6:22〜7:20)→大聖寺平(8:00)→ぁ小赤石岳(9:20)→大倉尾根分岐(9:45)→赤石岳(10:05)→大倉尾根分岐(10:35〜11:00)→赤石小屋(13:50) 宿泊

7/29
赤石小屋(5:25発)→樺段(6:55)→椹島ロッジ(8:30・10:00)―送迎バス→バス停(11:00)―車→赤石温泉(11:45)―車→三鷹自宅(7:00)  (^_^)

『感想』

 夏山をどこにするかと迷っていたが以前に荒川三山に行ったときには、雨で余り風景もガスっていてよく見えなかったので再度南アルプス南部荒川三山に行くことにした。北アルプスなどと違って、何といっても静寂なのが一番良い。何しろ夏山の北アルプスの込みようといったら、半端でなく小屋に泊まったら畳一枚に二人ぐらいで寝て、お互いに互い違いに寝るものだから、他人の足の臭いを嗅いで寝るようである。

 自宅を早朝出発し順調に東名高速道路を快適に飛ばし日本平のインターで朝食を取り、静岡に向かい車はほぼ一直線に伸びる道路を風張峠に向かったが、何とここでアクシデントが起きた。後少しで目的のバスの送迎地点に到着するところで、橋の崩落があって通行止めになっていたために道を違う方向に取り走らなければならなくなった。これで今日の予定が大きく変更となってしまった。予定であれば今日は9時の送迎バスに乗り椹島ロッジまで行きそこから歩いて千枚小屋に泊まることになっていたのであるが、今日は椹島ロッジに泊まることになってしまい、その為に明日の歩行時間がとてつもなく長くなるはめになってしまった。

 東海ホレストの送迎バスには、まだ時間があるので赤石温泉に行き朝から一風呂浴びて時間調整をすることとした。この温泉は南アルプス南部に来たら下山後に必ず汗を流しに立ち寄る無料の温泉場である。滑らかでとても肌に良く長く入っていてものぼせないで気持ちの良い温泉である。

 送迎バスに揺られて川に沿って椹島ロッジ目指してガタゴトと車は走って行く。思えば便利になったもので以前は、椹島ロッジまで5時間ぐらい歩いて行ったものだが今は1時間ぐらいで椹島に着いてしまう。その為に静寂な南部も最近は登山客がかなり増えているようである。静かさが失われて山家荒れてしまうのは、困るが便利になって比較的誰にでも山を楽しむことが出来るのは、それなりに良いことなのであろうが、果たしてどちらがよいのかは賛否両論が分かれるところであろう。

 椹島ロッジもすっかり以前と比べるとリニューアルされており、別館が建っていてとても清潔な畳のまだ香りがほのかに臭う6畳の部屋である。

 27日の今日は、歩行時間が超ロングとなり最低でも10時間は見ておく必要がある。果たして中岳避難小屋までたどり着けるかが心配である。朝食はそんなわけでおむすびにしてもらってまだ外が暗いうちに起きておむすびを食べ椹島ロッジを後にした。登山口は大井川の源流が流れる橋の脇から始まっており、いよいよ南アルプス南部の長い登山の始まりである。朝の涼風がとても気持ちよくせせらぎの音と合間ってとても気分はハイで足取りも軽く整備された登山道を一歩、一歩登って行く。まさに静寂そのものでまるで自然の中に解けていくような気がする久しぶりの夫婦だけの登山である。

 うねうねとした樹林帯の登山道を進むにつれ高度は増して傾斜もきつくなってきた。でも、さわやかな風が吹いているので思ったよりは汗もそんなにはかかずに登ることが出来た。そんな登りを6時間もしただろうか。やがて千枚小屋にたどり着いた。この小屋は以前来たときには、自炊小屋に泊まったのだが、その後火災にあって焼失し最近新築されたとかで建物が綺麗になっていた。ここで大休止を取ってこれからのいよいよ本格的な登りに備え水分、食料の補給をし千枚小屋を後にきつい登りを一歩、一歩千枚岳目指し登り始める。それにしても静かである。今年は風張峠の橋の崩落で例年よりも登山客が少なく静かな山歩きが楽しめる。

  朝、出発してから約7時間、大分疲れた頃に縦走路の入り口の山、最初の千枚岳に到着しここで一本立てていよいよ荒川三山に向かう。ここからは皆、3000bの山々が続き核心部となる。前衛峰の円山を過ぎ荒川三山最高峰の悪沢岳に向かう。ここら当たりまで来るとかなり疲労度は増して歩くのもよたよたとしている。それにしても何年前になるのか。時間を掛けて歩いたとはいえ、島倉さんは良く歩いたものだと感心しながらダイナミックな山容の悪沢岳山頂に向かって歩を進める。大きな岩屋石ころがあるので歩きにくくそれだけに余計に疲れる。そんな岩稜帯を息を吐きながらどうにか山頂に到達した。ザックを降ろすのももどかしくドッカっと腰掛けて水をグイグイと飲んで一息入れる。最初は出来たら途中の登山者に聞いたところ、荒川小屋はとにかく食事が良いよと言われたので、荒川小屋まで行こうと話をしていたが、これではタイムオーバーでとてもたどり着けそうもないので迷わず中岳避難小屋に泊まることとした。

 さあ、元気を出してもう一踏ん張り、今夜の塒、中岳避難小屋を目指し歩を進める。避難小屋とはいえ、この時期は小屋番もいて簡単な食事ならば出してもらえるとのことでとにかく歩く。悪沢岳は別名東岳ともいわれこちら側の下りは、ガレ場でなくて歩きやすくなっている。それにしても南アルプス南部は山家大きく山裾が綺麗な曲線を描いて深い谷となり、遙かな下まで伸びており本当に気持ちがよい。モウ、ここら当たりまで来るとバテバテで小さな声で1,2,3,4とリズムを取りながらただひたすら歩幅も狭くなるがあるく、歩く。

 そんな苦しい道中もやがて中岳避難小屋の屋根が見えてきてやっと休めることが出来た。避難小屋とはいえ、とても綺麗な小屋ですでに5,6人ぐらいの登山者が休息を取っていた。早速缶ビールを飲んで長かった歩程に思いを寄せてひんやりとした涼風に吹かれて山の醍醐味を味わっているまさに至福の時である。

 早朝、中岳避難小屋を後にして中岳のピークに到着する。ここは荒川三山の一つであるが山と言うよりも丘とっうかんじで余り感激もない。歩を更に前岳に向かう。ここも悪沢岳に比較すればなんて言うことのないピークである。少し休んでから一気に下って荒川小屋に到着した。最近東海ホレストが力を入れているためかこの小屋も新しくなっておりとても気持ちの良い小屋である。ここで大休止を取り朝食を取ることにした。ここのわき水はとても冷たくおいしい水である。十分に腹ごしらえをしてからいよいよ今日の核心部、赤石岳に向かう。荒川小屋から赤石岳にかけてがお花畑も多く沢山の高山植物が乱れ咲いている。とても気持ちの良い散歩道という感じで真夏の空に綿飴のような雲がぽっかりと浮かんでいた。小赤石岳を過ぎ大倉尾根の分岐についてここにザックを置いて赤石岳までピストンの登山をすることとした。ザックがないだけ快適に早足で登ることが出来た。今回すっかりとたばこを止めたので呼吸も楽でその事も大いに影響をしているのかも知れない。コの分だと禁煙を長く続けられそうであるが、どうも月例会の後の飲み会が曲者である。今度は意志を強固に持って禁煙をしたいものだ。

 少しの岩稜帯を越えると程なく赤石岳山頂に到着した。今回が2度目の山頂登頂となるが、以前よりも歩程時間が短いせいかそんなに疲れもなく登ることが出来た。赤石岳には人気ルートのためか結構登山者がそれぞれに休息をしていた。四顧の山々を十分に堪能し、記念写真を撮って下山を開始した。大倉尾根分岐にて早めの昼食を取り下山をすることとした。どうも下りは苦手でこれから長い下りだと思うとうんざりするが、歩かなければ今日の宿泊地、赤石小屋に着かないので、砂礫混じりの道をストックを頼りに下っていくことにした。途中で湧き水がある所で一本立てて黙々と下っていく。やがて樹林帯に入り、しばらく歩いていくと今日の宿泊地、赤石小屋に到着した。

 早速ビールとワインで乾杯をして、気持ちがよいのでしばらく外にいて府中から来たという夫婦者と談笑し、方々の山の話に花が咲き憩いの一時を満喫し、薄暮となってきたので小屋の中に入り夕食を食べて眠りについた。

 今日は歩程時間も最も短く下りだけなので気持ちも楽である。登山道も良く整備されており快適に下っていく。それでも後から来たと登山者にどうしても追い抜かれてしまう。やはり、下りは一段とペースが遅くなってしまう。汗をかきながらそれでも順調に下ることが出来椹島ロッジに8時30分に到着した。ここには生ビールが売っているのでジョッキーで荒川三山の山旅に思いをはせながら喉を鳴らして生ビールを一気に飲みながら健康のありがたさ、ビールのうまさ、山の素晴らしさに感動し夏山の終わりをちょっぴり淋しく思い送迎バスに揺られて最初のバス停に到着し、ここから止めてあった車に乗って赤石温泉に行って汗を流しまた、ビールを飲んで帰路に向かった。アー、これで夏山も終わったなぁ。 (;_;)




山行先   切込湖・刈込湖(1617m)・高山(1667,5m)・社山(1826,6m)
      (山域 奥日光)
山行日   2002年8月24日(土)〜25日(日) 1泊2日
コース   のんびりGT 山遊GU 山楽GV 合同山行
費  用  ¥10,000円
      (交通費・宿泊費・25日の入浴代金・下見費・事故対
       策費・その他を含む)
       なお、キャンプ村では、風呂が別料金500円で利用
       できます。
【行程】
24日(土)
       東武浅草駅(8:10発)→東武日光駅(10:11着・10:30発)―
       バス→中禅寺湖船発着場(11:15着・12:30発)―遊覧船→
       菖蒲ヶ浜(12:55着)→菖蒲ヶ浜キャンプ村
       14時00分 スイカ割り大会後、希望者のみ竜頭の滝
              散策
       16時30分 夕食団欒タイム
       18時00分 広場にて「エンジョイパーティ」
       19時30分 各、宿泊棟にて休息及び就寝

25日(日)
       5時00分  起床及び朝食
       6時40分  随時、各、3コース分かれての山行

切込湖・刈込湖コース(のんびりGT)
“原生林の中にエメラルドグリーンに輝く湖愁ただよう神秘的な小さな
      二つの湖”

歩程時間 4時間30分
『行程』
菖蒲ヶ浜キャンプ村―バス13分→湯元温泉―1時間→小峠―40分→
切込湖・刈込湖―1時間40分→山王見晴らし―1時間→光徳キャンプ
村―10分→光徳温泉バス停(光徳牧場)―バス→郵便局前(中禅寺温泉
・蔦舎・入浴休憩)
3コース共通 郵便局前(16:30発)―バス→東武日光駅(17:20着・18:00
発)→東武浅草駅 (20:03着) ハイ、お疲れ様でした。 (^_^)

高山コース(山遊GU)
“ミズナラやダケカンバに囲まれた静寂なまた訪れてみたい山”

歩程時間  4時間30分

『行程』
菖蒲ヶ浜キャンプ村―20分→竜頭の茶屋―10分→竜頭の橋―1時間
10分→高山―30分→熊窪分岐―40分→熊窪―35分→赤岩―40
分→竜頭の滝バス停―バス→郵便局前(中禅寺温泉・蔦舎・入浴休憩)

社山コース(山楽GV)
“男体山の雄姿と眼下に中禅寺湖を望む眺望抜群の玄人好みの山”

歩程時間  7時間

『行程』
菖蒲ヶ浜キャンプ村―バス→立木観音入口―25分→立木観音―30分
→狸窪―20分→阿世潟―30分→阿世潟峠―1時間40分→社山山頂
―1時間20分→阿世潟峠―30分→阿世潟―1時間15分→立木観音
―15分→郵便局前(中禅寺温泉・蔦舎・入浴休憩)





山行日     2002年10月12日(土)・13日(日)・14日(月) 2泊3日
山行先     吾妻連峰縦走(山域 福島)
歩程時間    12日 3時間 13日 6時間20分 14日 4時間30分
天候      13日・14日(晴天) 14日(曇り)

【行程及び感想】

【行程】
10/12(土)
 東京駅(6:32・つばさ111号・22番線)→上野(6:38)→福島(8:00・8:15)―バス→浄土平(9:25着)→吾妻小舎(9:40〜11:20発)→桶沼(11:30)→鎌沼(12:30)→東吾妻山(13:40〜14:00)→姥ヶ原(14:30)→浄土平(16:00)→吾妻小舎(16:20) 宿泊 (-.-)Zzz

【感想】
 お天気は本当に雲一つ無い秋空の晴天である。浄土平は観光地だけに大勢の観光客がこの連休を利用してそれぞれ楽しんでいる。私達6名は、ひとまずザックを吾妻小舎に置いてそれから空身で東吾妻山まで散策に出かけることにした。
 今回東北山旅シリーズでは、一番楽なコースではないだろうか。何せ初日は全くのハイキングコースなのでザックも背負っていなくて空身なので気分も楽である。先ず訪れたのが桶沼である。本当に桶の形をした可愛い沼である。沼のそばまでは行けずに遠くから眺めているので余り私には沼の様子が分からなかった。それから一歩きして鎌沼に到着した。これはもう、沼というよりは立派な湖である。鎌沼の周囲も広く沼の水の青さと周囲の緑と合間ってまるで一幅の絵を見ているようである。すると京極さんが「ビールでも飲んでこの風景を眺めていたらさぞかしいいだろうな。」とみんなの気持ちも同様ですっかりと寝てる子を起こしてしまった。

 鎌沼を後に木道づたいに東吾妻山を目指して歩く。すぐそこに見えるのだがなかなか到着しない。岩まじりの山道なので後藤さんも苦労をしているようである。木の根っこや大きな岩をまたいだりしながら ようやく気持ちの良い平らな山頂に到達した。四顧に安達太良山、磐梯山の雄姿が見える。さすがは山頂で風が強く冷たい。記念写真を撮って早々に下山にかかる。

 下山はやはり、みんな足取りも速く段々の続く山道をまるで走るように降りていく。これは結構膝に負担がかかるのであるが大丈夫だろうか。後でその懸念が的中するのだが今はみんな元気である。間もなく姥ヶ原について、再度観光客で賑な浄土平に到着した。ここで何はなくてもこのメンバーであれば、先ずビールで一杯となる。喉を湿した後、暮色に染まる山々を見ながら今日の宿である吾妻小舎に到着した。

 吾妻小舎はロケーションも良く昭和9年に建てられた小屋で歴史を感じさせる風情がある。夕食までの一時定番である「飲み会」モードとなり、それぞれの飲み物を手にして歓談タイムにはいる。
 食事も豪華で秋の王様キノコの料理も出たりして、和気藹々の雰囲気でくつろぎながら食事をとっている。
 食事の後がまた、「飲み会」モードとなり、山の話、役員改選などの話に花が咲きみんなそれぞれに大いにお酒が回ってきた。夜8時を回ったので就寝タイムとなったので他の3名は床に着いたのだが、これで収まる人ではない方がいて、外で飲もうということになり、寒い外で私もつき合わされて、ふるえながら飲んでいた。しかし、寒さが身にしみてくるので、等々たまらずに小屋に入ってしまった。後で聞いたのだが何と二人だけで11時30分も外で飲んでいたという猛者には恐れいったものである。 (^^;)

10/13(日)

【行程】
 吾妻小舎(7:10)→一切経山(8:40)→家形山(9:50)→偽烏帽子山(11:20)→烏帽子山(12:20〜13:00)→昭元山(14:10)→東大巓(15:30)→明月荘(16:10) 宿泊 (-.-)Zzz

【感想】
 いよいよ今日が吾妻連峰の核心部である。歩程時間も長くアップダウンも結構あるようで、それなりに厳しそうである。昨日の散策の下山の段々の下りがやはり、膝に来てしまった人が出てきた。小林さんが膝の調子が悪いとのことで、今日は皆と同行せずにこのまま東京に帰るとのことである。折角来たのに残念ではあるが、途中で膝が痛くてどうにもならなくなってしまったら、それこそ大変なので無理をしないで帰ってもらうことにした。
 一切経山の登りが結構厳しくまだ半分寝ている身体と昨日のアルコールが効いているのでこの急な登りはこ堪える。中でも後藤さんはすっかり二日酔で歩くのも辛そうである。それはそうだろう。11時30分まで飲んでいたら二日酔にならない方がおかしい。これでこれからは少しは自重するかな。イヤ、無理だろうな。 (;_;)
 そうこうしているうちに一切経山の山頂に到達した。ここで一本立てて歩き出したら、何と五色沼の絶景が目に飛び込んできた。何と綺麗な光景だろうか。すっきりと済んだ秋空の青さ、きらきらと輝くコバルトブルーの五色沼の全貌がまるで絵はがきのように見えるではないか。みんなただ感動してカメラのシャッターを押している。
 山道は一切経山から下りとなり五色沼を右手に見ながら下っていく。そして家形山の登りとなり、ここでも五色沼の全貌を今度は反対から見る形で秋の陽に輝く沼面がきらきらと光っている。まるで宝石でもまいたようである。

 登山道はここからは薄暗く木の根っこ、石などが点在しており、暗くて歩きにくい道である。ここら当たりまで来るとさすがに登山客も無く私達5名だけである。足も結構疲れてきて、明月荘まで後どのくらいだろうかと、思わず地図を見る回数が増えてきた。

 今日の一番の難所たる烏帽子山の岩野続く登りとなる。このコースにこんな岩が続く山があるとは驚いた。何とかそんな岩場もクリアして山頂に到着したのでここでお昼タイムとなり、それぞれ補給をする。後藤さんもやっと二日酔が消えて本来の身体に戻ったとか。後藤さんの身体もしゃっきっとしたところで、今度はこの岩場の下りにトライをすることとなった。私達視障者の最も苦手な岩場の下りである。半端でなくその岩場が長いのには閉口をした。後藤さんも坂井さん、京極さんの名サポーターの指示に従って悪戦苦闘しながら降りてくる。
 そんな苦しい岩場も通過してこれからはルンルン気分の木道歩きとなる。東大巓の辺りは、一帯が湿原となっており、白い木道が延々と続いている。木道歩きは本当に歩くのに楽で、あの岩場歩きから見れば天国である。風景も湿原独特の雰囲気で池塘有り、
草紅葉有りと疲れた身体には優しく迎えてくれる。そんな木道歩きの終点地に白い建物の明月荘の避難小屋があった。登山客もそんなにいなくゆったりと休めそうである。

 それぞれの夕食のメニューを取り出して夕食となる。勿論、「飲み会」は当然のことである。私はお酒をコップに3ばいも飲んだら良い気持ちになってて、みんなより早く寝てしまった。 (^_^)

10/14(月)

【行程】
 明月荘(9:00)→藤十郎(10:20)→人形石()11:10〜11:40→西吾妻神社(13:00)→→北望台リフト駅(15:00)―リフト―ロープウェイ→白布温泉(森の館入浴休憩)―タクシー→米沢駅(18:55つばさ186号)―新幹線→東京駅(21:19着) (^_^) ハイ、お疲れ様でした。

【感想】
 いよいよ今日は縦走最後の日である。天気は悪く強風がうなりを挙げて吹いている。幸にも雨は大したことはないようである。マア、天気も3日間は晴れるということは贅沢であろう。出発を9時としてゆっくりと出発することにしたが、これが後々堪えてくるとは今はつゆ知らぬところである。他の3人は、小屋にいるということなので私と和美は元気よく湿原散策と明星湖に出かけることとした。全くの静寂、ガスに曇った湿原は幻想的で所々に池塘があり、白い木道が遙かに続いており、モヤ景色は朝の風も心地よくまさに至福の時である。明星湖はガスで視界が悪くうっすらと見えるだけであった。

 そんな幻想的な湿原を後に明月荘に戻って、5人揃っていよいよ出発となった。木道を気分も快調に歩く。何時しか鼻歌も飛び出して気分はハイである。
 そんな長い湿原からもお別れをして人形石の急登となり、息を弾ませながら強風の人形石の頂点に到着した。この強風の中昼食をとって、今回縦走の最後西吾妻山に向かう。ここにも途中まで木道があり、それから岩場の登りとなり、やがて西西吾妻神社に到着した。途中登山客に聞いたところ、山頂まではここから30分もかかるということなので、時間の計算をすると一寸、余裕がないので残念ながら山頂はパスをしてしまった。それならば朝もっと早く出ればとの後悔が先に立つが、これは仕方のないことである。

 下りは登りに時間がかかったのが嘘のようで快調に下山して午後3時にリフト乗り場に到着した。これからリフトを3回とロープウェイを乗り継いで白布温泉に到着し、森の館の温泉に入り一息入れて、当然ビールも入れて、タクシーで米沢駅に向かう。帰りの車中では、とっておきの焼酎を飲みながら、お互いに真っ赤な顔になり、楽しかった吾妻連峰縦走の山旅のフィナーレを飾った。 オシマイ





 山行日:  2002年11月2日(土)〜3日(日)〜3日(月)
 山行先:  霞沢岳(山域 北アルプス)
 天 候:  2日 曇りのち雪 3日 大雪 4日 雪

【行程】
11/2
 新宿駅(7:00)→松本(9:38・10:07)→新島々(10:37・10:45)→上高地(11:55・12:50発)→明神分岐(13:50)→徳本峠(16:25) 宿泊

11/3
 徳本峠(7:10)→ジャンクションピーク(9:10)→徳本峠(10:45〜13:50)→明神小屋(15:20) 宿泊

11/4
 明神小屋(8:00発)→上高地(9:00・10:00発)―バス→新島々→松本


《感想》

11/2
 この11月の連休の山行は、前穂高岳にするか、それとも新島々宿からの徳本峠に行き徳本峠小屋に泊まり霞沢岳のピストン登山にするか迷った末に結局、かねてより昔の岳人が上高地に行き穂高岳を目指すのには、徳本峠を越えて行かなければ登山が出来なかったというそんな昔の思いを感じながら、その足跡を辿るという山行に決めて、時間の関係上、上高地から逆コースで徳本峠越えをして新島々宿に行くというコースにして、二日の10時30分頃に新島々の駅に降り立った。

 この新島々の駅もすっかり綺麗になって、明るい趣にリニューアルされていた。車窓からの眺めは所々に奇麗に染まった黄葉があり車内から感嘆の声が上がる。そんな風景もカマトンネルを越えると一変して、真っ白な銀世界になり、大正池が白く覆われてとても綺麗である。しかし、この時期にこんなに雪があるとは思わなかった。

 暖房の効いたバスを降りると外気がとても冷たく思わず身震いをしてしまった。レストランで豚汁を注文をし持参した弁当を食べて、オーバーヤッケ、オーバーズボン、スパッツなどを履いていよいよ徳本峠を目指してサックサックと音を立てて雪道を白い息を吐きながら一路明神小屋に向かった。

 途中明神岳が白く輝き、梓川の河原も真っ白くなっており粉雪が止めどなく降り注ぎ静寂なその風景は幻想的な上高地の風景を醸し出している。真夏のシーズン時のあの険相が本当に嘘のようである。明神小屋で休憩をして、これから徳本峠に向かう。徳本峠は3年前の交流山行で登っているので様子は分かるがそれにしても積雪は、ここら当たりでも20cmはあるのではなかろうか。こんなに早く雪山を楽しめるので心はハイになり足取りも軽く徳本峠目指し歩を進める。

 登に登につれて積雪も多くなり40cmぐらいはあるかも知れない。すっかりと葉が落ちた木々に雪が積もって、綿帽子をかぶった木々がとても綺麗で、すっかりと雪化粧を整えこれから長い冬に向かっての序曲にふさわしい装いを終えて立っている。

 雪は間断なく降り続いており、時より風も出てきて、寒さが一段と身にしみる。辺りが暗くなった頃にようやく見覚えのある太い丸太で支えられた徳本峠小屋に到着した。既に先客が小さなこたつやストーブを囲んでただ沈黙の様で居るのは奇妙な光景を感じた。

 この小屋はとにかく古く大正9年頃に建てられたものだから、あちらこちらが隙間があいておりとにかく風通しは抜群である。やがて夕食となり山小屋にしては結構な食事が出て、サービスに地酒も出たので一同は歓声を上げて大喜びである。

 食事も済んでこれからがいつもながらのノンベイタイムでとにかく二人の女性の声の大きいこと、辺りを構わずにべらべらとしゃべるので、「もう少し静かに話せ。」とブレーキをかけるのに懸命である。神戸から来た中高年登山者と話をしたり、酒もワインもビールも飲んで話に花が咲き話題は止めどない。そんな団欒タイムもやがて就寝時間となり蚕棚のような寝床に潜って眠った。

11/3
 朝、起きて驚いた。一晩のうちに積雪がかなりあり、小屋の周囲は新雪ですっかりと埋まっており、風もかなり出てきて今日の霞沢岳の登山が心配になってきた。小屋の宿泊者は誰も霞沢岳に行く者がいないが、テント泊の「雪稜会」の猛者がこれから霞沢岳に行くというので、私達は後からゆっくりとトレースを頼りに登ることとした。先にトレースがあるとはいえ、積雪はかなり多く一寸トレースからはずれるとズボッと膝上まで埋まってしまって、歩くのに難渋してしまう。

 かなりの斜度の所を直登したりして、雪の中を泳ぐように進んでいく。これではとても霞沢岳の山頂には、行けるものではない。タイムアウトを決めて下山をしないと大変だ。
上の方から声がするので何だろうと思ったら、「雪稜会」の登山者に追いついてしまった。メンバーは8人いるのだが、結構年を経た方もいて、新人もいるらしくそれなりにばてていた。リーダーらしい女性が私達がトレースを楽をして追いついてしまったから、くやしいのか、「前に出てラッセルをしてください。」と大きな声を張り上げているので、私達も先頭に出てラッセルをすることになった。トレースがないので身体が雪に埋まってしまい膝上30cm位はあるであろうか。足がズボズボと埋まってしまう。こんなラッセルは谷川岳の雪壁以来であろうか。疲れるがそれなりに面白く3人は雪の中を遊び転げるようにしてゆっくりと前に進む。

 そんなゆっくりした私達に見かねたのか再び「雪稜会」の3人の男性が交代してくれた。みればワカンは履いておりおまけに空身と来ているではないか。これならラッセルは当然であろう。「雪稜会」の名前が鳴くぞ。

 それでもようやく最初のピーク、ジャンクションピークに到達したので、少し休んで歩を進めたがどうにもこうにも雪が深くて、足も挙がらなくなったので引き返すこととした。見れば「雪稜会」のメンバーはさっさと戻ってしまった。
 
 下山は登るときとは比較にならないほどの早さで、あっという間に徳本峠に着いてしまった。今日はここに泊まる予定で濡れたものを乾かしたりして、こたつに当たりながらまた、びーる、ワイン、焼酎とノンベイタイムとなり、単独で焼岳に登ってきたというおばちゃんと話をしながら飲んでいたら、いつの間にか今日は明神小屋に泊まろうということになり、これから下山をするということになってすっかりと良い気持ちになった私には堪える下山だったが、一気に明神小屋まで行き泊まることとなった。雪はものすごく降っておりこれでは明日の下山が心配になったので、やはり今日のうちに下山をしたことが正解だったようだ。

 ゆっくりと風呂に入り、夕食も豪華な食事で生ビールのジョッキーを傾けて至福の時を楽しむ。それから寝酒を飲んだのは言うまでもない。

11/4
 今日も雪はドンドント降っており、朝食をしているとバスの運行が不可能であると聞かされて、私達は仕方がないから沢渡まで歩く覚悟を決めて明神小屋を後にした。
途中カッパ橋で記念写真を撮りバスターミナルに行くと10時頃にはバスが動くというので、それに載ることにしてこの3日間の雪の戯れともお別れとなるので名残惜しいが、霞沢岳の登頂を再度心に決めて上高地を後にした。 オシマイ


    
美の山(587m)

 山行日   11月10日
山行先   美の山

山の紹介:
 武蔵野の吉野山と称される花の多い山です。11月は枯れすすきが白く輝いていると思います。往復電車で大回りして出発点に戻ります。途中、ゆったりとローカル線の旅情を楽しんでください。美の山へは、蓑山神社の参道経由でのんびりと大回りして林間を楽しんだ後、頂上の広場でテントを張って、一夜を過ごします。

行 程:   約4時間の歩き〔休憩を除く〕 
*11月9日(土)東上線・池袋駅発11:00急行小川町行→小川町着12:
09〈乗り換え〉寄居行12:12発→寄居駅着12:26〈乗り換え・秩父鉄道〉寄居発12:43→皆野駅着13:09〜13:30発→徒歩1時間30分→蓑山神社→30分→美の山〔586.9b〕

感 想
 山行の予定では、テント泊での一泊山行であったが、余りにも寒いので、日帰り山行で山頂にて鍋を突いて、少人数でゆっくりと酒を飲んだり、豚汁を食べたりして楽しんできた。




 [日 程]  2002年12月8日(第2日曜日)
 [天 候]  雨のち雪
 [参加者]  視障者 15名 六つ星晴眼者 28名 会員外 10名 
        総参加者数 53名
 [コース]  相模湖駅―バス→石老山登山口→顕鏡寺→展望台→石老山→展望台        →顕鏡寺→石老山登山口→相模湖駅
  感 想

 昨日、七日から降り続いていた氷雨も八日、当日に集合場所の新宿に着いたら止んでいたので、先ずは安堵の胸をなで下ろしほっとする。だが そんな期待をあざ笑うが如く相模湖駅に着いたら、な、な、何と結構雨脚も強く降っているではないか。もう、頭の中は真っ白となり、これからの山行をどう進めて良いか思考は混乱状態となってしまったが、とにかく皆さんに雨具の着用をバスの中で指示をし、出たとこ一発勝負で臨むこととした。バスを下車し家屋の庭先を借りて全員が雨具着用の動作をし、とにかく顕鏡寺まで小隊編制もなくそれぞれ向かうこととした。
 赤、黄色、青とそれぞれの雨具が雨に濡れてカラフルでとても綺麗である。幸にも雨は小雨となっており、このぐらいであったらそんなには雨も気にならないかなと一寸安心をする。車道とも別れやがて病院の前を通過し登山道に入る。岩が所々にありそれが雨に濡れ滑るので結構歩きにくい。所々に最もらしい由緒が書かれた掛札と共に奇岩が点在しており、思わず「本当かよ。」と言葉があちらこちらから挙がる。
 やがて最初のお目当ての顕鏡寺に到着し、それぞれトイレに行き、寺の大きな屋根の庇を借り振り出しに戻っての出発時の一連の行為を行う。何しろ今回はお祭ということもあり、4小隊編制でそれぞれビーナス隊、エンジェル隊、マリヤ隊、モナリザ隊と命名し、その隊長、副隊長に六つ星山の会が誇る才色兼備な女性軍を当て、いっそうの華やかさを祭に添えることとした。各自の自己紹介も普段と違い、念入りに行った後、いよいよ小隊編制で小雨降る中を山頂目指し歩を進めた。
 吐く息も白く各、談笑をしながら一歩、一歩山頂に向かう。やがて雨が小雪に変わり何と初雪のプレゼントである。スバルの神もいささか悪いと思ったのか。点数を稼ごうと思ったらしく白いプレゼントをしてくれた。山頂に進むに連れて、綿帽子をかぶった木々が、シャレた演出をして我々を出迎えてくれた。+思考に取ればこの悪天候も雪の演出により『忘年納山・六つ星祭』に相応しいとも言えるので、何が幸いするか分からないのではないだろうか。
 そうこうしているうちに全員が山頂に到着し、寒い中で昼食を取り、「納山式」のセレモニーを催すこととした。先ず全員が全国の山々の神を代表している石老山の山の神に向かい、感謝と祈願を込めて、二礼、二拍手、一拝を行う。乾杯の後、会長挨拶、そして2002年会山行実施状況を読み上げ、六つ星十大ニュース、そして長沢会長辞任の挨拶、長年の長沢会長の功労に対してステキな帽子のプレゼント、それからきらめき輝き大賞、あすなろ大賞などの授与式等を終了し、予定を変更して往路をまた、ピストンで戻ることとした。
 下山は各自足取りも軽くあっという間に顕鏡寺に着いてしまった。ここで忘年会組、納山山行組、それぞれお別れの挨拶をし最初の石老山登山口バス停に向かう。
 「ねん坂の関」での忘年会は、料理も盛りだくさんで、途中会員が持ち寄った品物をお互いにプレゼント交換を行い思わぬ品物に皆、大笑いとなる。小隊対抗の隠し芸有り、会員による歌有り、女神輿有りとまさにお祭に相応しい宴となった。
 ここに紙面を通し、『忘年納山・六つ星祭』にご協力を頂いた多くの会員の方々に改めて厚く御礼申し上げます。。
 本当にこの一年、色々な山行を健康で楽しく実施できたことを感謝し、会員同士何時までも友情の絆を強く結び明日に向かって歩を進めていきましょう。